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あとがき 

文:冨田輝海

 『笑い話』という楽曲を初めて聞いた時、私は大きくバンドの方向性が動いたと感じた。
 前作『飽食の子供達』のリリースからまだそんなに時間が経過していないのにも関わらず、またもやかみやくんから8ビートを基調にしたノリノリのナンバーが生み出されたのである。

 これまでの踊れない僕らといえば、どちらかというと『聴かせる系』の楽曲が大半を占めており、間違ってもフロアに

「お前らもっと盛り上がっていくぞぉぉぉぉおおおお‼」

 と煽り散らかしてはならない。
 そういった雰囲気のバンドであった。
 『飽食の子供達』はそういった殻を大きく破ってくれた楽曲であり、これまで比較的静かだった踊れない僕らのライブに『お客様の手拍子』という新たなサウンドを鳴り響かせてくれた。

「楽しい」

 我々はステージの上で演奏することに対する感情を、改めて実感したものである。

 飽食の子供達が我々のリード楽曲となり、各所でライブを繰り広げる中かみやくんから一曲のデモ音源が上がってきた。
 それは昨今の流行に反して再生時間が3分にも満たないショートな楽曲であり、トラックそのものの構成はシンプルながら情景が思い浮かぶエモーショナルなリリックに私と橋本は、

「「すっげぇ良いじゃん……」」

 と口を揃えてノックアウトされていた。
 それに対し「だろ?」と満足気な表情を見せるかみやくん。
 どうやら彼的にもかなりの自信作だったようだ。
 我々はすぐにでもこの楽曲をステージの上に持っていこうと画策した。

 これが後に『笑い話』と名付けられる楽曲の、およそ一年にも及ぶ楽曲改変劇の始まりである。

 この文章を書くにあたって、『笑い話』の最も古いデモがいつ作成されたものか調べてみたところ、2024年6月アタマとなっていた。
 そして当時、この曲は2024年7月に予定されていた自主企画ライブでの初披露を目指しており、単純計算で我々に残された時間はおよそ一カ月しかなかった。
 その一カ月の間に、今の粗いデモの状態から他楽曲に見劣りしないレベルまで引き上げ、なおかつ自分たちで演奏できるようにならなければならない。
 ただでさえリリースペースが遅いことに定評のある我々にとって、これは苦難以外の何物でもなかった。


 踊れない僕らの場合、アレンジ作業は普段デスクの上、パソコン上で行われる。
 しかしこの時に限り、スタジオで練習兼アレンジというハイブリットスタイルを取っていた。
 私はキーボード的観点から、この楽曲が持つ『シンプルイズベスト』といった形を保つことを意識し、ベーシスト橋本はそんなキーボードの動きやボーカルの邪魔をしないよう、徹底的に縁の下に回る。
 そんな重要事項だけをあらかじめ決めておき、スタジオで演奏。
 録音したものを全員で聴き、不満点を修正していく。
 こうして出来上がった『笑い話ver.1.0.0』は、予定通り自主企画で披露された。
 ありがたいことに楽曲は好評で、踊れない僕らの元メンバーであるドラマー、タカノはその日のセトリで一番良かったとまで言ってくれた。

 自主企画での演奏成功後、『笑い話』はさらにアレンジの幅を広げていった。
 面白いことに過去のライブの録音を視聴すると、そのライブごとに全く違ったアレンジが楽しめるのだ。
 ある時は私の演奏がピアノではなくシンセサイザーの電子音が主体になっていたり、ある時はかみやくんがギターを持たずに歌っていたり。
 特にその当時、踊れない僕らはサポートドラマー複数人と活動していたため、ドラマーの変化とともに楽曲の表情も変化するのは、聴いていて面白い点であった。
 そんなこんなで時間が流れ2025年、ようやくアレンジが固まってくると遂にレコーディングが始まった。

 今回この曲を制作するにあたり、我々はある一つの裏ミッションを掲げていた。
 それは、『ほぼ自主製作で音源を作成する』というものである。
 これまでの踊れない僕らは、レコーディングは全ての楽器において然るべき場所で行い、ミックス、マスタリングは当然のようにその道のプロの方にお任せしていた。
 しかしそれだとどうしても費用がかさんでしまい、良い音で録音できる代わりに連続的なリリースが厳しくなってしまうというデメリットを抱えている。
 そこで今回、ボーカルやドラムといった楽曲の大事な部分をレコーディングスタジオでお世話になり、その他の楽器は、すべて私、冨田の家で録音するという手法が取られた。


 当然のように連発するトラブルに対処しながら行われる自宅レコーディングは困難を極めたが、機材不足をアイデアで巻き返す日々は、なんだかんだで非常に充実していたのを記憶している。
 毎日メンバーが我が家に入り浸っていたこともあり、レコーディングはとんとん拍子に進んでいった。
 そんな中で特に私の記憶に残っているのが、ベースレコーディングである。
 専用の録音機材を所有しておらずメンバーで購入を考えていたところ、私の使用するシンセサイザーに似て非なる機能があることが判明。
 まさかのベースをシンセサイザーにぶっ刺して代用するという、どちらの専門家からも良い顔はされないであろうアクロバットレコーディングを決行した。
 これがまた面白いのが、何事もなく普通にいい音で録音できてしまったこと。
 当時メンバー全員で大爆笑しながらレコーディング作業をしたのを覚えている。


 そうこうしてるうちに二週間程度で素材はほとんど出揃い、いよいよ工程はミックスへと移った。

 ミックスとは、各楽器の音量や音質、聴こえる範囲を調整し、ただの『多重録音』から優れた『音源』に仕上げるとても大切な作業だ。
 今回その作業を担当してくれたのは我らがリーダー、かみやくんである。
 ミックス的な知識が皆無な私は、途中経過を聴いて「なんか良くなってる!」という小学生並みの感想しか述べることが出来なかったが、音漏れしたヘッドホンを装着し、食い入るようにパソコンの画面に集中する彼の姿は、紛れもなく一人のエンジニアだったことは確かだろう。

「完成した」

 かみやくんからその言葉が聞けたのは、実に三週間後のことだった。
 彼がミックスをしていて納得いかない部分を払拭するために楽器のリテイクも多く発生し、時間もかかってしまったが遂に全員が納得できる音源が完成したのである。
 プロのミックスエンジニアからしたら色々と言いたい部分はあるのかもしれないが、我々にとってはそれが最高の音源だった。

 ミックスした音源のマスタリングが完了し、遂にリリースを待つばかりとなったが、踊れない僕らのクリエイター気質は、音源のみに限った話ではなかった。
 当初から作成予定であったYouTube用のリリックビデオもいっそのこと自主製作しようと画策したのである。

↑笑い話 リリックビデオ

 動画素材は知り合いのカメラマンさんにお願いし、編集をベーシスト橋本龍阿が担当したことによって生まれたこのリリックビデオは、これまた素晴らしい出来栄えになったと感じている。
 今ではそんな映像作品の切り抜きがインスタグラムで二万回以上再生されており、それをきっかけに音源を聴いて頂ける機会も増えた。

 踊れない僕らというバンドが活動四年目にして体験したこの苦難に満ちた日々が、今となっては最高の笑い話となったことは言うまでもないだろう。
 しかし意外にも今回の楽曲は、かみやくんの対人関係の中でそんな風に笑い話として昇華できない問題についての歌だということが彼の口から明かされている。
 冒頭に登場するメンバーの誰でもないサンプリング……言ってしまえば赤の他人のハミングと自分の声を楽曲中に散りばめることで『自分対誰か』の対比を表現したそうだ。
 それを知った後に聴くこの笑い話という楽曲は、きっと一味も二味も違って聞こえることだろう。

 最後にこの楽曲を制作するに当たって忘れてはならない、影の功労者がいる。

 ドラムパターンを考案した元メンバー、タカノコウキ。
 そして実際にレコーディングに足を運び、ドラムを叩いてくれたyusuke fujimotoさん。

 この二名のドラマーが居なければ、笑い話の完成はさらに難航していただろう。
 ドラマーが在籍していない踊れない僕らにとって、特有の『ドラマーらしいドラム演奏』を考えるのは、不可能に近かった。
 そんな中タカノは踊れない僕らの元メンバーという観点から我々に最もよく合うドラムパターンを、fujimotoさんはその洗練された技術力を持ってレコーディングに協力していただき、無事にこうしてリリースを迎えている。
 笑い話という楽曲の中に、間違いなく彼らのDNAも仕込まれているのだ。
 この場を借りて彼らに最大級の感謝を伝えると共に、今後も良い関係性を築けていきたいとメンバー一同心から願っている。


 さて、これを読んだあなたは今日からこの『笑い話』という楽曲については、サブスクで楽曲のみを楽しんでいるリスナーの方に、ものすごくマウントを取れてしまう存在となりました。
 なんてったってこんなに制作の裏側を知ってしまったのだから、もう後には引けないです。
 今後ほかの踊れない僕らリスナーに出会ったときは、ぜひその知識を面白おかしく布教してやってください。
 そしてそこで小さな笑いが起こるのであれば、我々はこうして色んなコンテンツを作成した甲斐があったというものです。

 今後とも、踊れない僕らをよろしくお願いいたします。